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『即戦力の磨き方』(23) 新・大前研一名言集(134) 藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ



 

『即戦力の磨き方』(23)

 

 


大前研一さんのような「世界に通用する傑出した人物」は、
日本にも世界にもあまりいません。

私は大前さんの足元にも及ばないちっぽけな存在ですが、
そんな小さな私でも、世の中で役に立ちたいと熱望して
います。

年齢は関係ないと思っています。

やろうとする意思と一歩踏み出す行動力ではないか、
と考えます。

その2つに付け加えるならば正しい方向性でしょうか。

これはなかなか定めるのが難しい。
自分で正しいと判断しても、必ずしもそれが正しい針路を
とっているかどうか確かめることが困難だからです。

メンター(師匠)がそばにいれば、たとえ間違った方向へ
進んだとしても、謙虚な気持ちで従うならば修正は可能で
しょうが。

私にとってのグル(精神的指導者)は大前研一さんです。
もちろん、大前さんがそんなことを知る由はありませんが。

以前、大前さんの下で働いていた学生の方
(今では社会人として働いていることでしょう)
からメールを頂いたことがあります。

そのメールの中で、身近で見た大前氏の気さくで、
ユーモアあふれる人柄に触れたことを伝えてくれました。

 


 日本留学生の問題は、どうやら学力だけではないようだ。

 他国の学生と比べ、「ディスカッションする力」が

 圧倒的に欠けているのである。

 欧米のビジネススクールの授業は、たいていディスカッ

 ション中心に進められる。

 ところが、自分の意見や主張を公の席で主張したり、

 他の人の発言を瞬時に理解し、そこから論を展開したり

 する訓練を、まったくといっていいほどしてきていない

 日本人留学生は、このディスカッションに参加できない。


 

             今日の名言 1 〈406〉

 


 日本人のディスカッション能力に必要な基礎体力が

 欠けている最大の原因は、家庭にあるのではない

 だろうか。

 どこの国でも、ディスカッションに必要な素地は、

 子どものころ家庭で養われるものなのである。

 中国人は家庭での家族の会話がじつに豊富だし、

 インド人のディスカッション好きは、やはり家庭で

 鍛えられているからにほかならない。

 なかでもすごいのはユダヤ人だ。彼らは家庭を、

 子どもが意思を言葉で伝えられるように訓練する

 場だと心得ているから、親子の会話といっても

 傍からは、まるでケンカにしか見えない。

 それくらい激しいディベートを、日々の家庭生活で

 繰り返していれば、大人になるころには、それは

 逞しいディスカッション能力の持ち主になっている

 はずである。


 

             今日の名言 2 〈407)

 


 命令しかできない上司が、部下をうまくマネジメント

 できるわけがないし、子どもと同じように、部下からも

 避けられているだろうことは、おおよそ察しがつく。

 もしその上司が、家庭で必死になって、子どもと

 コミュニケーションをとろうとしているなら、それは

 絶対に部下との関係にも反映されてくるはずである。


 

      
             今日の名言 3 〈408)

 

日本人にディスカッション力が不足している原因の
一つは、テレビにあると考えています。

小さい頃は、家族団らんで食事をしながらテレビを
観ることになります。

テレビを観ている間、話をしたらテレビの音声が
聞こえず、内容が分かりません。そのため、黙々と
食事をしながら、テレビを観ます。

ディスカッションが生まれる余地はありません。
しかも、テレビ番組制作者の都合で、情報を加工
して一方的に伝えます。一種の洗脳です。

番組関係者は、視聴者は皆、中学生レベルと思って
いますから、内容を単純化させ、さらにバラエティ化
させ、本来のテーマから逸脱させ、内容の「刷り込み」
(imprint)をします。

そうした状況で、ディスカッションが行われる可能性は
ほとんどない、と断言できます。

高校や大学では、教師が一方的に講義し、学生は
聞いているだけの受動的な授業が中心になります。

学生は、教師が板書したことを必死になってノートに
書き留めることに集中し、授業内容に疑問を感じること
がほとんどありません。

教師が「ここはテストに出るよ」と言えば、生徒は
考えることをせず、ただただ覚えることに専念します。

一方、教師は毎年同じ内容の講義を続けます
(もちろん全員ではありません)。
とりわけ、大学では教授たちが自ら執筆した本を
「教科書」として生徒に買わせ、その「教科書」
の内容以外は授業中に扱いません。

教授たちは昔のままの内容を繰り返すだけで、
新しいテーマに取り組むことがありません。

こうした状況下では、ディスカッションが行われる
可能性は皆無です。

家庭内ではディスカッションの基本を学ぶ時間がなく、
学校では一方通行の講義が行われるだけです。
ここでもディスカッションが行われる環境にはあり
ません。

そうなれば、社会に出てディスカッションができる
はずがありません。ディスカッションする訓練が
できていないのですから当然のことです。

ディスカッションするための前提として、普段から
問題意識を持っているかが問われます。

疑問に感じたら自分で調べてみたり、じっくり考えて
みるということさえ、怠ることがしばしばあります。

すると、他人と話しても相手の話を受動的に聞いて
いるだけか、拒絶するかどちらかになります。

ディスカッションが行われる素地がないのです。

あなたはディスカッションできていますか?
ディスカッションできる友人はいますか?

 

 

 

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