『伊藤雅俊の商いのこころ』(26)
この本も終わりに近づいて、いよいよ核心部分に迫って
きました。
「小売業はお客様があって成り立つもの」
という当たり前のことが、時に忘れられている現実を見ると、
この言葉の重みをヒシヒシと感じます。
食品偽装問題(事件)はその典型です。
お客様の存在を忘れてしまっていた、と言われても返す言葉
はないはずです。言い訳をするのはみっともないことです。
食品偽装を長年続けてきて、担当者も経営者も感覚が麻痺
してしまったのでしょう。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがありますが、
いずれまた繰り返されるかと思うと、やりきれない思いが
募ります。
そこには、意識の上で、お客様が存在しておらず、驕りが
支配していたからではないでしょうか。
お客様あっての商売が、厳しいものであることは言うまでもありません。しかし、
お客様に誠心誠意を尽くして、認めて
いただければ、何の後ろ盾がなくても、
卑屈になって心にもないことを言わなく
ても、節を曲げて媚びへつらうことを
しなくても、食べていけるのです。
母と兄が身をもって示してくれたのは、
商売の厳しさと同時に、商売の素晴らしさ、
商売のありがたさでした。働きづめの生活の
中にある、精神的に自立した自由人の生き方
だったと思います。
(PP.242-243)(076-1-0-000-277)
私は人に縛られるのも、人を縛るのも嫌いな人間です。社員にもそうあってほしいと思い、
社員を必要以上に会社に縛りつけて、会社に
依存しなければ生きていけない会社人間に
しないように、卑屈にならず、誇りを持って
生きられるように心がけてきたつもりです。
(P.243)
(077-1-0-000-278)
商人には、出世階段を上るサラリーマンに必要な頭のよさとは別の、算盤(そろばん)
と始末と才覚が必要で、それは市場の変化
や時代の変化を読む目と言えます。
「始末」は倹約や節約とは違う、英語の
マネジメントに近い合理的な精神のことです。
(P.243)
(078-1-0-000-279)

